駐日パレスチナ常駐総代表部
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The Israeli separation wall イスラエルの分離壁

イスラエルの「防護」壁における事実
イスラエルの「防護」壁:もう一つの土地略奪

「防護」壁建設におけるイスラエルの目的は二つある。すなわち、(1)植民地を更に拡大する為にパレスチナの土地を没収し、地理上の境界線を引きなおし、(2)パレスチナ人が自分たちの土地で生計を立てる事を出来なくし、十分な水資源を与えず、行動の自由を制限して街や村に住み続けると言う選択を実行不可能にして、パレスチナ人の大量移住を奨励する事である。
壁建設の第一段階は完了した。もし壁が真に安全保障の為であるとすれば、壁は1967年の占領前のイスラエルの国境線上(グリーンライン[1])に建てられたであろう。しかしながら、壁はグリーンライン上に建てられたのではなく、占領されたパレスチナ領土内にかなり入り込んで建てられたのである。
壁の事実
建設完了後
壁の予測長さ
約788km。
これはグリーンラインの2倍の長さである。[2]
壁の場所
壁のわずか6%がグリーンラインの100m以内となる。
実際にイスラエルに併合される予測領地
占領下のヨルダン川西岸の43.5%
壁外の入植者の予測パーセント値
88%
壁内に捕らわれたパレスチナ人の予測パーセント値
84.1%
壁とグリーンライン間に捕らわれた
パレスチナ人の予測人数
343,300人(パレスチナ人口の14.9%)。この数値は二重壁エリアに住むおよそ93,000人のパレスチナ人も含まれる。
壁により自分たちの土地から
分離されるパレスチナ人の予測人数
522,000人(パレスチナ人口の22.6%)

2004年9月まで
壁の長さ
186km
壁とグリーンライン間に捕らわれた
パレスチナ人の予測人数
18の町村に住む13,332人
壁の場所
今日まで、124km以上の壁がグリーンラインの東1km以上にある
壁の建設で没収された土地
約8,000エーカー
壁とグリーンライン間で孤立した土地
25,153エーカー
壁の建設により破壊された、
または破壊の危機にさらされている家屋数
約75世帯
壁の建設により破壊された樹木数
102,320本
(このうち83,000本はオリーブの木である)
破壊された温室数
546棟
壁の建設で破壊された事業所数
124
壁により没収された井戸または
壁の後ろとなった井戸の数
50ヶ所、壁がある場所の半分以上の水を供給する
壁とは何か?
壁: 現在の惨害と将来の計画
2002年6月、イスラエルは、パレスチナ西岸内に少なくとも西岸の全長に渡って壁を建て、その拡張主義的、抑圧的計画の次の段階を実行し始めた。驚くまでもなく、ずっと曲がりくねって続く壁の通り筋は、入植地の併合やパレスチナ地域の家々の建て込んだ所を包囲し、一貫して土地没収と支配の論理に従ったものである。世界のニュース報道に反して、壁(塀、分離帯、特に虚偽的に防護塀とも呼ばれる)は、グリーンラインとしても知られている1967年の境界線を示すものではない。壁は、実際は大規模な土地略奪であり、占領地及びパレスチナの運命を決定するものである。
現在、エルサレムとベツレヘムで実施されている壁の建設と破壊と共に、カルキリヤ、タルカム、ジェニン地区で行われている壁建設の「第一段階」に、壁による兆候とその影響が見られる。これら全域で壁は完成まじかである。イスラエルは2003年4月に27キロの壁の完了を発表した。壁(その最短で)の1/3 しかない第一段階地域だけでも、200,000人以上を含む65のコミュニティーが影響を受けるであろう。これまでの所、地域社会において農耕地の破壊、灌漑設備への損傷、水資源の孤立化、家や社会設備の解体等が感知された。加えて、パレスチナ人は自身の土地やマーケットへ行ったり、勤務先へ通ったり、家族を訪問したりする事が妨げられているのである。壁の第一段階において、壁による影響やその存在と継続から予想される衝撃が注目される。
現地図上に引かれている壁はジャイユスやカルキリヤ地区のイスラのような地点で6キロ西岸内部に入り込んで蛇行し、実質的に大規模なパレスチナ領土を没収している。これらの破壊的な見通しと「発展」のさなか、イスラエルはアリエル、イマニュエル、ケデュミン等の入植地を併合する為、壁を更に東方向の西岸内部へ16キロ動かす拡張計画をまじかに承認しようとしている。同時に、ヨルダン渓谷に沿って最初の壁にほぼ平行して走る第二の壁計画(2003年3月に公表された)がまもなく始まろうとしている。第二の壁の拡張工事で壁の長さは650キロ以上にも伸び、直接支配をもくろむイスラエルは西岸のほぼ二分の一を孤立化させるであろう。
今日、壁はエルサレムにおいてパレスチナの心臓部の完全な孤立化を進めている。1948年前の歴史上のパレスチナ全地域およびかつての西岸の商業的、社会的、宗教的、歴史的中心であったこの都市は、約十年前に始まったイスラエルの閉鎖体勢(今また壁によって強固になりつつある)の下で、大多数のパレスチナ人にとって近ずくことが難しくなっている。同じくパレスチナの宗教と文化の中心であるベツレヘムでは、壁はエルサレムや残りの西岸そして地域内のコミュニティー間とこの街とのつながりを断絶しつつある。
更に、第一段階にそったグリーンラインの東側では、イスラエル貫通高速道路の一部と共に平行した壁もさらに建設される見込みであり、壁とグリーンライン間の地域はますます孤立化し、村々の住民は強制退去させられるであろう。壁は、閉鎖および包囲政策の継続拡大であり、すでに存在するパレスチナ・ゲットーを更に縮小する主要な「手段」なのである。
壁の構造
壁には幾つかの物理的な形態がある。例えばカルキリヤにあるのは高さ約8メートル、コンクリート製で見張り塔がついている。同様に、他の地域では壁は一連の塀の形をとり、その中には電流が通っており、溝や道路、鉄条網、カメラ、足跡がつく路、緩衝地帯を含み、幅は70〜100メートルに及ぶ。ベツレヘムの壁は両方構造を有し、塀〔電流が通っている物を含む)、緩衝地帯、センサー、溝、鉄条網に加えて、コミュニティーを囲むコンクリートの壁、西岸から街を完全に疎外する為のバイパス道が含まれる。構造上の違いが何であれ、その及ぼす影響は同様である。
壁についての着想は、概念的にも字義的にも新しい物ではない。障害壁を設けてパレスチナ地域社会を更に孤立化させると言う話は、インティファーダ開始前にさかのぼる。壁の立案の大部分はイスラエル軍と政府によって機密扱いされている。今日存在する壁や拡張された壁や第二の壁の地図は、農民に下されたイスラエル軍による没収命令に基づいている。この地図には彼らのコミュニティーの小さな地図とイスラエル国防省の支援でイェシャ入植者評議会が作成した地図が付随している。加えて、散発的ではあるが軍と政府からイスラエル報道機関とイスラエル裁判所に向けた声明や漏洩も情報源となっている。軍は、壁の地図の公表を拒否しており、人々が第一段階の壁の地図を取得したのは全ての破壊が始まってからであり、通常特定の現場に与えられたり、法廷での尋問でイスラエルの裁判官に渡された地図を間接的に通してである。
運命の決定
公式のイスラエルの言い方では、人や物品のために壁に沿って横断箇所が設立されると言う事だが、イスラエルの許可制度は閉鎖のための悪名高い口実であり、行動の自由の侵害にもあたるので、それがいかなる実質的なレベルでも実現されるとは思われない。イスラエルの人権擁護組織ビィ・ツェレムによると、イスラエルは、第一段階にある殆んどの土地がすっかり乾くのに十分な時間は与えたが、そのような横断箇所の為の十分な費用を今年の予算にはあてがわなかった。占領地区における土地没収と筆舌に尽くし難い人間苦難の螺旋模様は、戦略上のリップ・サービスと相まって、咎めなしに行動できると言うイスラエルの情け容赦ない能力が直接原因である。
コミュニティーがイスラエルによる破壊に直面しているさなか、国内的にも国際的にも不十分な抗議しか起こっていない。現在、壁が建設されつつあるコミュニティーでは、彼らの苦難に対してパレスチナ機構からの支援の不足に失望を表明している。コミュニティーは、機構が壁に対して強固な立場を取り、イスラエルとのどの様な交渉においても、壁の全ての建設を中止し、没収した土地を正当な所有者に返し、土地や所有財産が損傷されたり破壊されたりした者には保障すると言う事を前提条件とする旨、引き続き要求している。国際的レベルでは、壁の限られた情報と知識において、知らされた事と実際に起こっている事との不一致が益々強調されている。事実を知らしめる事が必要に迫られている。
拡張された壁とヨルダン渓谷の壁を併せると、二つの側で切り取られた西岸の地図が浮かび上がる。真ん中に二つの大きな切断された地域、その中には入植地、軍用基地、バイパス道、検問所に囲まれて行動の自由をなくした数多くの村や街のゲットーが存在する。もし拡張された壁と第二の壁が完成したら、ヨルダン川西岸は相互間の往来が殆んど不可能な、切断された三つの郡に分割されてしまうであろう。交渉の前面では、パレスチナ国家の建設が仲介されているが、一方、現実には、キャンペーンがアパルトヘイト壁と呼ぶこの壁が、占領による絶え間ないパレスチナ人の権利の侵害を堅固にし、パレスチナの将来を決定しつつある。
[1] 1949年1月に第一次アラブ・イスラエル戦争終結の休戦条約が結ばれ、それによりイスラエルは分割地域を40パーセント以上増やした。これが1967年前の境界線、グリーンラインとして知られるようになった。
[2] グリーンラインはおよそ320キロである。計画された長さは381キロで、2003年3月にシャロン首相が発表したヨルダン渓谷の壁計画と共に、2003年10月にイスラエルによって承認された。
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