駐日パレスチナ常駐総代表部
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Refugees 難民

背景
パレスチナ難民問題は、ハガナやイルガンやスターンのようなユダヤ人地下組織テロリストグループが犯した2つの戦争(1948年のナクバと1967年のナクサ)、大量虐殺、そしてその他の侵略行為の結果、引き起こされたものである。国連調停委員会の推定では、1948年の戦争後、72万6,000人ものパレスチナ人が国外に避難し、32,000人が軍事境界線内に残った。イスラエルの領土となった地域に元々居住していた80万アラブ人のうち、わずか15万人が自分たちの家に留まり、ユダヤ社会のマイノリティとなった。531ヶ所もの町村が破壊され、ユダヤ人の入植した。破壊や没収で失われたパレスチナ人の財産総額は、2,090億米ドルと推定される。難民に加え、国内追放となったパレスチナ人がいる。彼らは1948年の戦争でイスラエルの領土となった自分たちの村から国内追放された者たちである。この戦争後、3〜4万人のパレスチナ人が故郷に帰ることを許されず、軍事政権下に置かれ、彼らの土地は没収された。イスラエルは今日まで国内追放されたパレスチナ人の存在を認めていないが、その数は26万3000人から30万人と推定される。(バディル・センター、ベトレヘム)
1950年、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)に914,221人の難民が登録された。1967年、17万5000人のUNRWA登録難民を含み、およそ30万人のパレスチナ人がヨルダン川西岸およびガザ地区から追放された。UNRWA登録難民は2度目の追放を受けたのである。今日、UNRWAに登録されている難民の総数は400万人にも達する。
オスロ合意後、エルサレムのシャファット難民キャンプを除き、ヨルダン川西岸およびガザ地区にある難民キャンプはすべてPA(パレスチナ自治政府)の管理下に置かれたが、難民の悲運はPLO/PAとイスラエル間の「最終国家」協議に際し、解決すべき最も複雑な問題の一つとなっているのである。イスラエルはイスラエル国家の独立性に対して(人口学的に)直接的な脅威をもたらすと言う観点から、難民および追放された人々の「帰郷する権利」を拒絶する立場をとっている。イスラエルは、難民をアラブのホスト国に定住させ、国際的努力により彼らの生活環境を向上させ、人道的配慮に基いた入国制限を実施することでこの問題を解決したい考えである。
一方、パレスチナ人は国連総会の決議194(1948年12月)に基づきパレスチナ難民全員がパレスチナ委任統治国へ「帰郷する絶対的権利」を求めている。この決議は難民が帰郷する権利または補償金を受け取る権利を認めるものである。(「故郷に帰り、隣人と平和に暮らしたいと願う難民は、実施可能なできるだけ早い時期にそうすることを許されるべきである...補償は帰郷することを選択しない難民の財産について支払われるべきである」)従って、難民は「永久」を暗示するキャンプ内のプロジェクト、すなわち彼らを永久にキャンプ内に留めようとするプロジェクトはずっと拒否してきた。

UNRWA 登録難民(2002年6月)
西岸 ガザ地区 ヨルダン シリア レバノン 合計
登録難民 626,532 878,977 1,679,823 401,185 387,043 3,973,360
2001年以降の増加率 3.1% 3.1% 2.4% 2.4% 1.1% 2.5%
全人口の% 32 83.1 34.5 2.6 11.4 32.7
全登録難民の% 16 22 42 10 10 100
難民キャンプ数 19 8 10** 10 12 59
キャンプに住む登録難民
(登録難民の%)
168,507
(27)
468,071
(53)
293,215
(17)
115,863
(29)
217,211
(56)
1,262,867
(32)
キャンプ外の登録難民 458,025 410,906 1,386,608 285,322 169,832 2,710,493
施設数:
学校
訓練センター
一次医療
95
3
34
168
1
17
190
2
23
111
1
23
79
1
25
644
8
122
** アンマン、ザルカ、マダバ郊外の3ヶ所のキャンプは、UNRWAにより「非公式」キャンプとされている。
(出典:UNRWA統計、UNRWA本部、2002年6月)
*離散したパレスチナ難民の約50%は、難民の定義が狭義なためにUNRWAに登録されていない。この定義によると、難民とは1946年6月から1948年5月の間にパレスチナに住所があった者で、1948年の戦争の結果、家と生活手段を失い、ヨルダンやレバノン、シリア、ヨルダン統治のヨルダン川西岸またはエジプトの管理下にあったガザ地区に避難した者を言う。この定義はこれら難民の子孫は対象となるが、1967年に上記以外の土地に逃げた難民(少なくとも32万5000人)はこの定義に含まれない。(ただし1967年にUNRWAに既に登録済みの者およびヨルダン川西岸とガザ地区外にいた者はその対象となる。)また西岸/ガザ地区のパレスチナ人で海外にいてその許可証が期限切れとなり、帰郷できなかった者もこの定義の対象から外れる。このようなケースに相当する者は5万人を超える。

生活環境
パレスチナ難民が直面する問題の一つは、アラブ諸国が外人に完全な居住権を認めないことである。レバノンでは難民は最も厳しい状況に陥っている。すなわち、レバノン政府が難民に発行する旅券は世界中のほとんどの国で認められていない。難民はレバノン当局が発行する労働許可書を取得しなければならないが、公共部門で働くことはまったく許されておらず、民間部門でも70を越える職種に就くことができない。シリアでは、難民は選挙権、事業の開始、シリアのパスポートの所有を除き、シリア市民と同じ権利が認められているが、難民の旅券は多くの国の政府が認めないものである。ヨルダンでは難民の状況は最も良い。パレスチナ人は市民とされ、普通のヨルダンパスポートを持てる。また選挙権や事業の開始も可能で、高等教育や政府部門での就労など公共サービスに対する完全な権利もある。例外はガザ(1948年から1967年までエジプトの管理下にあった)からの10万人もの難民であるが、彼らは仮のヨルダンパスポートしか認められていない。
各地に共通の問題として、詰め込み過ぎの家屋、お粗末なインフラ(舗装されていない道路やむき出しの下水)、貧困と失業などがある。登録難民全体の5.8%は特に悲惨な状況にあると考えられるが、その割合はレバノンが最大で(10.8%)、ガザで(9・1%)である。学校は多くの場合、2部制を採り、1クラス平均50人もの生徒をかかえている。

UNRWAに登録された難民の分布(地域およびキャンプごと)(RC)
西岸
地域 キャンプ(推定年) 人口
ナブロス アスカル(1950)
バラタ(1950)
キャンプNo. 1(1950)
13,297
20,002
6,033
ジェニン ファラ(1949)
ジェニン(1953)
6,565
13,755
ツルカルム ヌールシャムス(1952)
ツルカルム(1950)
7,944
15,661
ラマラ アマリ(1949)
デイル・アマル(1949)
ジャラゾン(1949)
カランディア(1949)
7,821
2,145
9,009
8,948
エルサレム シュファト(1965/66) 9,396**
エリコ
アカバト・ジャベル(1948)
アイン・スルタン(1948)
5,034
1,872
ベツレヘム デイシェ(1949)
アイダ(1950)
ベイト・ジブリン(1950)
10,494
4,034
1,792
ヘブロン ファウワル(1949)
アッルーブ(1950)
6,809
8,897
ガザ地区
地域 キャンプ(推定年) 人口
ガザ北部 ジャバリア(1948/49) 103,646
ガザ市 シャティ(ビーチ)(1949) 76,109
ガザ南部 カン・ヨーニス(1949)
ラファ(1949)
60,662
90,638
ガザ中央部 デイル・バラ(1949)
ヌセイラト (1948/49)
ブレイジ(1949)
アルマガズィ (1949)
20,188
64,233
30,059
22,536
** 実際の難民キャンプ人口ははるかに多い。過去10年間に約4000人もの難民がエルサレムでの居住権の喪失を避けるためにキャンプに移り住んでいる。
(出展:UNRWA、2002年)

お勧めリサーチソース:
http://www.badil.org/(難民および居住権のためのバディルセンター)
http://www.un.org/unrwa/refugees/me.html
http://www.shaml.org/(シャムル・パレスチナ人離散&難民センター)
http://www.palestineremembered.com/
http://www.prc.org.uk/(パレスチナ人帰郷センター、ロンドン)
http://al-awda.org/
http://www.savethechildren.org.uk/eyetoeye/
http://www.arts.mcgill.ca/MEPP/PRRN/prfront.html
(パレスチナ人難民リサーチネット、Mcgill大学付)
Abu Sitta, Salman「難民から故郷の市民へ」ロンドン:パレスチナ・ランド・ソサエティおよびパレスチナ・リターン・センター、2001年9月
Morris, Benny「パレスチナ難民問題の発生」1947年‐1949年。ニューヨーク:ケンブリッジ・ユニバーシティ・プレス、1987年
パレススチナ難民補償。ワシントンDC:パレスチナ方針分析センター、情報紙NO. 3、1995年
パレスチナ難民:難民問題と将来、ワシントンDC:パレスチナ方針分析センター、1994年10月
PASSIA「パレスチナ難民特別広報」、エルサレム2001年(www.passia.orgで入手可能)
Peretz, Don「パレスチナ難民と中東平和プロセス」ワシントンDC:US平和協会、1993年
Pulfer, G. & A. Al-Mashni「ヨルダン川西岸とガザ地区:オスロ合意から5年後のパレスチナ難民」
ベトレヘム:BADIL 1999年
帰郷する権利、パレスチナーイスラエル・ジャーナル、第9巻、No.2 2002年
Shiblak, A. & U. Davis「パレスチナ難民の公民権および市民権」モノグラフシリーズNO.1、
ラマラ:Shaml 1996年
Takkenberg, Lex「国際法でのパレスチナ難民の地位」オックスフォード:クラレンドン・プレス、1998年
Tamari, S.「パレスチナ難民交渉:マドリッドからオスロへ II」、ワシントンDC:パレスチナ研究協会、1996年
Zureik, Elia「パレスチナ難民と平和プロセス」ワシントンDC、パレスチナ研究協会、1996年

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