駐日パレスチナ常駐総代表部
HOMEパレスチナ国のプロフィールパレスチナの歴史>紀元前1000年
History of Palestine パレスチナの歴史
紀元前1000年
      
紀元前1000年:イスラエルの偉大な王ダビデが最終的にペリシテ人を打ち破り、イスラエル人は徐々にカナン人に同化した。イスラエルの結束と隣接する帝国の脆弱性により、ダビデは大独立国家を築くことができ、その首都をエルサレムとした。
紀元前992年:ダビデ王の息子でありその後継者であるソロモンの時代に、イスラエルは平和と繁栄を享受したが、紀元前992年の彼の死後、王国は北のイスラエル国と南のユダ国に分裂した。
紀元前722年〜721年:近隣帝国が領土を拡大するにつれ、分裂したイスラエル国はもはや自分たちの独立を保つことができなくなった。イスラエル国はアッシリアの領地となった。
紀元前586年:ユダ国はバビロニアに征服された。バビロニアはエルサレムを破壊し、エルサレムに住んでいたユダヤ人の大半は追放された。ネブカドネザルがエルサレムに入った。神殿は略奪され、火がつけられ、崩壊した。王宮や大邸宅はすべて破壊され、住民は捕虜としてバビロンに連行された。彼らは追放への長い行進を嘆いた。
紀元前539年:ペルシャのキュロス大王がバビロニアを征服し、ユダヤ人がパレスチナの一地域であるユダヤに帰還するのを許可した。ペルシャの統治下でユダヤ人はかなりの自治を許された。ユダヤ人はエルサレムの壁を建て直し、モーゼの律法であるトーラーを成文化した。トーラーは社会生活や宗教儀式の規範となった。ユダヤ人は万物の神を信仰した。
紀元前333年:ペルシャ人によるパレスチナ支配は、同地を征服したマケドニアのアレキサンダー大王にとって代わられた。アレキサンダー大王の後継者であるエジプトのプトレマイオス朝の王やシリアのセレウコス朝の王が、引き続きパレスチナの国を統治した。セレウコス朝はヘレニズムの(ギリシャ)文化と宗教を人々に強要した。
紀元前141〜63年:ユダヤ人はマカベヤ家の指導の下に反乱を起こし、独立国家を樹立した。
紀元前132〜35年:ユダヤ人の反乱が勃発し、多くのユダヤ人が殺され、多くの者が奴隷として売られ、残った者はエルサレムを訪れることを許されなかった。ユダ国はシリア・パレスチナと改名された。
紀元前63年:エルサレムはローマ帝国に制圧された。ヘロデ王がユダ国の王に任命された。ヘロデ王はハスモン家の最後の人々を虐殺し、盛大な第二神殿の増改築を命令した。大混乱期の後、平和主義者とゼロテ 派との闘争、そしてローマ政府への反乱が続いた。
紀元前37〜4年:ヘロデ王の統治時代に、偉大なナザレのイエスが生まれた。数年後、ナザレのイエスは教えを説くようになった。アブラハムとモーゼの純粋な教えに帰るように人々に呼びかけたナザレのイエスは、当局から 危険分子と判断された。イエスは裁判にかけられ、死刑判決を受けた。しかし当局が殺したものはイエス自身ではなく、彼らが見たイエスのうわべに過ぎなかった。
Contact us
Copyright (c) 2004 General Mission of Palestine. All Rights Reserved.